The mother on the land

家族を紡いでいくこと

私は、家族写真を撮るのも、撮られるのも大好きです。

家族写真の依頼をいただくと、心から嬉しい。

小さな子がいたら中腰になって、お祖母様がいらしたら手を伸ばす。そんなお互いを思いやる風景を間近で見せていただいてます。そして、みんなが笑っている。けれども街に住んでいると、三世代や四世代が一度に揃うことは少なくなってきているのではないかと思われます。「家族で写真を撮ろう!」と改めて思い集まることそのものが、「家族を思う」ことに繋がっているのではないかと思いました。

それは、のちに生まれるであろうこれからの家族へも遺せるものの一つであるし、きっと、それは見る人の心を支える一つになりえるんじゃないかと思えるのです。

私の主人が、本堂で法話をするとき、目に見えないご先祖様のはなしをするときがあります。そんなとき、私は写真が想いを馳せる助けになっているところを何度も見ました。

かといって、日々、写真を撮ることに躍起になるのもどうかと思います。撮る行為と、日々を過ごす行為は違うからです。かくいう私も、撮る側だと自分は写らない。。。私の自分の家族写真は、私が写っていることが少ないため、子供達に「この時、ママどこなの?」と聞かれることも。ママ、撮ってるんだよ。だから、私もそろそろ家族写真、撮ろうか!そう思ってます。改めて思い立つ、そんな行動がバランスが取れて丁度いい。

そんな思いから、私は依頼いただいたら、子供達に残したい、そんな家族写真を努めて撮ろう、そう思っています。

お母さんの壁掛け・トゥスキーズ〜想いの輪廻〜

昨年、私はカザフ人の町、ウルギーで古い壁掛けを手にしました。完全な形では無く、切り取られた跡もありました。

家族のために刺繍され、家を飾るという本来の役目を終えて、今私の元に来たこのトゥスキーズ。かすれて読めないけど、「〇〇へ 1963」と刺繍されている。どんなお母さんが、どんな子のために送ったのだろう?

私は、消えないお母さんの想いに後押しされて、家族と子供達にこの古いトゥスキーズで服を縫うことにしました。一着目は、1963年に縫われたこの布で自分が袖を通す分を縫いました。

今年、この誂えたベスト(ミシペット)を着てウルギーへ訪問しました。みんな珍しそうに振り向いて笑ってくれました。

いいねいいねと言ってくれた鷹匠のお宅の娘さんに、着てもらって撮った写真がこれです。

私の手元には、今、役目を終えたトゥスキーズが数枚かあります。ハサミを入れられない気持ちと、刺繍との対話を繰り返し、じっくり形にしようと思います。

会ったことのないカザフ人のお母さん、あなたの想いに私の想いをちょっとだけのせていいですか?

Text by Kei Hompo